Monthly Relay Interview 福島と。
芳村真理

#6 芳村真理

1935年4月3日生まれ。
東京都で生まれ、宮城県石巻市に疎開した経験を持つ。
1950年代より、モデルとして一時代を築く。
その後、女優・タレント・司会者として幅広く活躍。人気番組「夜のヒットスタジオ」では20年司会を務めた。

東北は、私の心のふるさと
今でも縁がある場所だと思っています

芳村真理

—芳村さんと東北・福島。どんな関わりがあったのでしょうか?

疎開していた時に宮城の石巻に4年住んでいたから、東北は第二の故郷であり、心のふるさとなんですよ。修学旅行先は福島の飯坂温泉でね。とてもよく覚えています。その後にも、50年来のモデル仲間の友人が会津出身で、実家に遊びに行って、わっぱ飯を食べたり…。今でもその友人とは親交があります。東北・福島には縁があるんですよ。

—そうだったのですね!長きにわたり、幅広く活躍されている芳村さんですが、そのキャリアのスタートは?

私のスタートはモデルでした。といっても、ファッションモデルが日本ではまだ定着してなかった頃ね。ミスコンの方がまだ早かったんですよ。「なんか変わった仕事がないかな」って調べていた頃に知ったのがモデルのお仕事だった。気になって早速調べたら、事務所が2つあってね、近い方に行ってみたんです。名前と連絡先を紙に書いたら、のちのち「○日に新宿駅のホームに来てください」って連絡をくれて…。

芳村真理

—どういった撮影だったんですか?

初めての撮影は確か、江ノ島とか海の方だった。モデルが10人くらいいて、カメラマンもたくさんいました。有名な方も一般の方もね。今思うと1960年代だから、多分あれがカメラのブームが来た時。一般の人が写真を撮り出した頃だったんです。衣装も全部自前なんだけど「スカーフとか持ってる?」って聞かれて、カバンから出してそれを付けてね。風になびいた瞬間にパシャパシャってシャッター音がなるんですよ。「シャッターチャンス」って言葉はその時に覚えました。何もかもが始まったばかりの頃だったから、現場で体が覚えていった感覚ですね。その次にはヘアの時代が来たんです。

—ヘアモデルですね。

そう。とにかくヘアモデルの仕事は星の数ほどやりましたよ。日本中に美容院ができた時期で、先生たちが海外から入ってくる技術やスタイルを一斉に勉強し始めた時期だった。私は髪質が良くてね、毛が細いんだけど強かったから、需要があったんですよ(笑)。あるところに行くと短く切られて、またあるところでは明るく染められたり…。1日に何回も場所を変え、髪型を変えっていう日々でしたね。

芳村真理

—大忙しですね!

先生によって全然やり方も違うから、毎回全く違う自分になれるんです。あの経験は、良かったです。その後の撮影や収録でどんなスタイリングされても、なんの抵抗もなく楽しめたのも、ああいう経験があったからじゃないかな。今でもどんな髪型にされても平気!モデルをやっていたってことは、のちの私生活でのおしゃれにもすごくいい影響を与えてくれた。ヘアもそうだけど、服も同じ。

—ファッション面でもいろんな発見がありましたか?

モデルって、自分が着たいものを着るんじゃなくて、どうやったらその服をかっこよく素敵に見せられるか、着こなせるかじゃない?これを着たら女っぽく振舞ってみよう、これなら颯爽と歩こう、とか。洋服を活かすってことね。ポーズで工夫したりして。山ほどの洋服を着てきたから、この色は嫌とか、こういうのは着たくないとかが全くないんです。おしゃれの間口が無限大に広がったと思いますね。毎回知らない自分を見つけられるというかね。メイクさんやスタイリストさん、プロの仕事を受け入れることはとても大切。

芳村真理

—その後TVでも活躍をされるようになりましたよね。

番組で「食」と「音楽」には長く関わった。「料理天国」って番組を18年やったの。ヨーロッパの料理文化が入ってきた時期で、いろんなお店に取材にも行きました。今でこそ当たり前だけど、トリュフとかが日本ではとても珍しいものでね(笑)。食を通して感じたのも、プロフェッショナルの仕事の素晴らしさでした。ファッションと同じで、旬もあるし、同じえんどう豆のスープでもシェフによって全然違うじゃない? クリエイターであり、アーティスト。洋服と同じで食材の組み合わせもあるし、次から次へと新しい味を追求してる。工夫を凝らした盛り付けも勉強になりましたね。

—「夜のヒッスタジオ」では、20年にわたり、司会を務められました。

ジャンルを超えたヒットソングを届けるっていうのが番組のテーマだったから、いろんなジャンルの方がいらっしゃるんです。クラシックから学ばれてる歌手の方もいれば、美空ひばりさんをはじめ、演歌を歌う方、そうこうしているうちにポップスも盛んに入ってきて…。

芳村真理

—印象的だった出来事はありますか?

1980年代のアイドル歌手が出てきた頃は衝撃的でしたね。「あ、時代が変わった」と思いました。歌っていうものがメッセージになった瞬間で、歌手はメッセンジャーなんだって感じましたね。歌が上手い下手とか、勉強をどれだけしているかっていうのはまた別次元で、とにかく人を惹きつける、人の心をつかむことの強さを感じました。あの頃からいろんな意味で時代が大きく変わってきたと感じています。

—いろんなジャンルを通して、時代のブームやトレンドを見てこられたんですね。

そう。仕事柄時代の変化を肌で感じてこられたことはとても大きかったし、財産だなって思いますね。やっぱり、何事も好奇心を持って、どんどん外に出て行かないと!今の日本はものすごくいいと思うし、感じることがたくさんあると思う。この間時間ができたから、ふらっとL.Aに行ってきたんだけど、その時に改めて日本の良さを感じました。

芳村真理

—幸楽苑には度々通われているとか!

実は社長とは数年前にひょんなことから知り合って、1度何人かで一緒に食事をする機会があったの。その時に福島から出てきて始めたってことと、人との出会いに恵まれて都内の一等地にお店がオープンできたこと、それから、店舗をどんどん拡大していきたいっていうビジョンをお話されてたのを今でもよく覚えていて…。だから、家の近くに幸楽苑の店舗ができた時は、思わず「ここにもきたか!」って思ったし、今でもよく行きますよ。私は担々麺がすっごく好きなの。最近はいきなりステーキも教えてもらって、せっせと通ってますよ。カードも持ってるし、番組で紹介させてもらったり…。どちらも立派な“行きつけ”です(笑)。

—今の日本の魅力とはどういうところでしょうか?

街は綺麗だし、日本中どこに行っても、すっごく不便とか、汚いとか怖いってことがないのよね。それって世界的に見たらすごく珍しい国だと思う。あと、食が抜群に美味しい!美味しいものは世界中たくさんあるけど、日本は安くて美味しいからすごいのよね。まさに幸楽苑さんもそうじゃない。美味しいものが安価で食べられるって、素晴らしいことよね。

芳村真理

—幸楽苑とも縁があったのですね!フットワークが軽くてパワフル。いつも魅力的な芳村さんの元気と美しさの秘密とはなんでしょうか?

何かの取材を受けた時に“好奇心はおしゃれの美容液”って言葉を書いてくれたんだけど、本当にその通りだと思う!女性誌や美容の番組なんかでも、どうやったら美しくなれるとか、若くいられるとかってよく言ってるじゃない?それはもう表に出ること、外気に触れることに限るのよね。

なんでも、見てみよう・知ってみよう・やってみようと思う心が大切なのですね。

その時代を感じて、いろんなことに好奇心を持って、1つ1つ目を留めてみる。ファッションも音楽も食も全部。そうすると、毎日が発見ばかりですっごく楽しいの。それが、すべてのエネルギーの源かな。100歳まで生きる時代だから、何歳でも物事や人の出会いを大切にして生きていきたい。幸楽苑の社長さんも70歳を過ぎての大成功でしょう?そういう生き方ってすごく素敵だし、憧れますよ。

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