Monthly Relay Interview 福島と。
加藤茶

#1 加藤茶

1943年3月1日東京生まれ。日本のコメディアン、ドラマー、歌手、俳優。ザ・ドリフターズ、こぶ茶バンドのメンバー。3歳から高校までを福島県福島市で過ごす。その後、上京し、ザ・ドリフターズに加入。『8時だョ!全員集合』にて、「加トちゃんぺ」を始め多くのギャグをヒットさせる。バラエティやCM、ドラマなど幅広く活躍中。

何にもない場所だったけど、
何にもなかったからこそできた思い出がある

加藤茶

—福島で暮らされていた頃の印象に残っている情景や、思い出の場所ってありますか?

生まれは東京で、3歳くらいだったかな、疎開で福島に行ったんですよ。高校くらいまで過ごしました。だけどね、景色と言っても、今から60年前だからものすごい田舎でしたよ。今なんかは、当たり前に駅ビルが立ってるけど、当時は市内も何にもないところだった。駅もね、映画の「鉄道員(ぽっぽや)」みたいな何にもない駅で。チンチン電車が走ってたなぁ。でも、何にもないからできたこともある。近所の子どもたちで集まってよく遊んだね。

加藤茶

—どんな遊びをされたんですか?

みんなで集まってかくれんぼするんだけど、これが普通のかくれんぼじゃないんですよ。市内全部を使った大掛かりなかくれんぼ。1日中見つからなくってね、あ〜もうやめようなんてこともよくありました。冬は雪も深かったからね、道路をスケート場にしてみんなで滑ったね。さすがに怒られたのが、バスの後ろにつかまって市内を一周した時。すっごい叱られました。で、何回やっても聞かないもんだから、バンパーに掴まれないように電気を通すようになったんですよ。時代だね(笑)。でも、手袋つけてみたら、また掴めましたよ。

—かなりダイナミックな遊び方ですね!

今じゃなかなかできない遊び方だね。また、阿武隈川ってのが綺麗でね。小学校に入ってから、その川で泳ぎを覚えたんですよ。それもまた、ちょっと悪い考えでね。川の向こう岸にりんご畑があったんです。それが欲しいがために、せっせと渡るわけです。川上の方まで歩いて行って、流されてちょうどいいところに着くようにね。それで、りんご食べて帰ってくる! それを繰り返してたら、泳ぎがびっくりするくらい上達したんですよ。

加藤茶

—チャーミングなエピソードです!ちなみに、加藤さんにとっての福島のソウルフードは何でしょうか?これを食べたら福島時代を思い出すっていうものはありますか?

僕は戦時中生まれでね、食べるものがなかった時代が長かった。やっと食べられるようになったなって感じたのが中学くらいかな。その時のソウルフードって言ったら、それこそラーメン! いわゆる昔ながらのね。お店じゃなくて、決まった時間に屋台が来るんですよ、稲荷神社の端っこに。夕方6時くらいかな。よく食べました。あの時で40円とかだったんじゃないかな。おやじさんが作ってくれる、ちぢれ麺のシンプルなね。あのラーメンはすごく美味しかったなぁ。

加藤茶

—福島で学生時代を過ごされた加藤さんですが、東京に出ようと思ったきっかけは何だったのでしょうか?

高校行きながら、映写技師のアルバイトもやってたんだけど、その時に、ジェリー・ルイス、チャールズ・チャップリン、バスター・キートン…とにかくたくさん、アメリカのコメディ映画を観たんですよ。その時は、コメディアンになりたいとは思ってなかったんだけど、ああこんな面白い世界があるんだなって衝撃でした。今から思うと、漠然と惹かれるものはあったのかもしれないね。そもそもは、親父がバンドマンだったんでね、できれば同じ音楽がやりたくて…。

—それで上京されたんですよね。

そう、バンドマン目指して、東京に出てきたんです。出てきたらね、“東京の勢い”みたいなものをすごく肌で感じてね、ああここで何かやろう、やらなきゃって。そう思ったんですよ。それで、バンドボーイから始めました。
※セッティングやメンテナンスなど、ミュージシャンのサポート業務を行う人々のこと。ローディーと呼ばれることもある。

加藤茶

—夢におけるターニングポイントや転機となるような出来事はあったのでしょうか?

バンドボーイになって半年くらいかな。トロンボーンが好きで、練習したかったけど、楽器が高くて買えないわけですよ。ある日メンバーのドラマーから「ボーや、これもう使えないから捨ててきてくれ」ってドラムのスティックを渡されたんです。1本だけ折れてて、もう1本は大丈夫だったんで、「これ、削れば叩けるんじゃないか」って思って。その時決めたんです。「よし、ドラムになろう!」って。

加藤茶

—なるほど!

ドラムはセットしてあるし、自分で買うのはスネアだけで安いからね。それに、叩くのってどこでもできるし、練習もたくさんできる。それで、チコ菊池さんっていうドラマーさんに「教えて下さい!」ってお願いしてね、マンツーマンで3週間、毎日みっちり教えてもらって…。チコ菊池さんのお兄さんが横浜でバンドやってるから、メンバーになれってことで、そのままバンドに入ったんです。それが始まりでした。

—それからまもなく、日本のカルチャーシーンの革命と言っても過言ではないあの「ザ・ドリフターズ」が生まれるのですね! 今もなお広くご活躍されている加藤茶さんですが、最後に、今改めて感じる福島の魅力とは何でしょうか?

上京してから、初めて福島に帰ったのは『8時だョ!全員集合』が始まってからだったかな。もうその地点で、あまりにも景色が変わってて、驚いたね。やっぱり戦後だったから。それでも当時遊んだ情景はよく思い出します。阿武隈川の美しさ、町を走るチンチン電車。何にもなかったけど、やっぱり自分の幼少期を過ごした場所だからね。

写真/小長井ゆう子
取材・文/杉田美粋

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